2010年12月7日火曜日

キッシュ


友人の手作りに触発されて(レシピをもらって)作ってみたキッシュ。きっと難しいのだろうと思って、作ろうなどと夢にも思わなかったが、「これは簡単なのよ!」ともらっておいたレシピを掘り出してみた。なにせ、感謝祭にパンプキンパイをつくり(これも初めて)、パイ生地が余っていたのである。何とか形にはなったが、何かいまいち足りない。今回はブロッコリーとベーコンのキッシュ。確かにプロセスは簡単なので、これから定番にして研究してみよう。冷蔵庫で数日もって、重宝した。今日の夕食はそれに加えて、ポレンタに炒めたたまねぎとマッシュルーム、フェタ・チーズをのせたもの、グリルしたトマト、そしてブロッコリーのてんぷら。


練習するレシピがいくつもある。

2010年12月2日木曜日

フレーバーウォッカ


料理の達人である友人宅に招待された。私と同様学生なので、贅沢のできない身分であるが、彼女の作る料理はいつもクリエイティブで奥が深く、私はすっかり感化される。ワンルームの彼女のアパートに足を踏み入れると、なんともいえない香りが部屋に充満している。最近インフューズド・ウォッカに凝っている、と話していた彼女は、まずりんごを浸したウォッカ&トニックで迎えてくれる。そしてイチジクとヤギのチーズをのせたフラット・ブレッドが前菜。その後、紅茶、カルダモン、他私には憶えきれなかった材料を浸したウォッカ&トニックはなんとも複雑な味わいで、一口で気に入ってしまった。「どうやって思いついたの?」ときくと、「いろいろ試して、こうなったの」と軽く答える。その後絶妙にオーブンで焼いたトマトやポレンタとラム肉のシチューなどでさんざんご馳走になった。



私もやってみよう、と触発されて作ったりんごのウォッカ。どうも味がいまいちなのはなぜだろう?そのままでは飲みにくい味なので、コスモポリタンにすることにした(味付けした意味がない)。おまけにこの瓶はしっかりと閉まってしまい、開けるのにすったもんだした。私は料理人には向いてないんだろうなぁ…。

2010年11月25日木曜日

ニューオリンズ


昨年のフィラデルフィアに続いて、今年の全米人類学会はニューオリンズ。10年ほど前に訪ねたきり行っていなかったので、楽しみにしていた。カトリーナ・ツアーに参加しようと思ったが、時間がなくて断念。ハリケーン被災の跡形もない中心街だけで終わってしまったのはがっかりだが、原油漏れ事故の後も観光は勢いが良いようで、人だかりがすごかった。学会の合間にちょっとだけ私も観光する。米国は通常公共の場でアルコールを消費することは禁じられているが、ニューオリンズをはじめいくつかの観光地では許されている。特別なお祭り気分で、ビールなどを片手に街を歩く人たち。もちろん私も加わった。フレンチ・クォーターのバーボンストリートはお酒と音楽が溢れかえる。


ニューオリンズはクレオール料理、ケイジャン料理で有名だ。スペインとフランスの植民地だった影響と、アフリカから来た奴隷の影響が特殊な文化を生み出した経緯となっている。私は前回ガンボ(野菜とシーフード、肉などを煮込んだスープ。家庭、店によってレシピが違うので、日本の鍋みたいな料理。)を試していなかったので、今回こそはと意気込んでいた。そこで自らガンボを作り、厳しい批評家でもある友人と何度か一緒に食事し、滞在中2回ガンボにありついた。1度目のガンボは、食堂というのがぴったりの小さなところ。ガンボを口にしておいしい!と思った私は、友人のほうに振り向いて「これ、おいしいよね?」というと、彼は真剣な顔をして頷いている。満足して学会に戻ると、その友人から携帯電話にメッセージが。「さっきは店の人の前でいえなかったけど、あのガンボはたいしたことなかった」。あら、そうでしたか。


私がガンボ音痴(?)がわかった友人は、もっとおいしいガンボを食べよう、と別の店に翌日連れて行ってくれた(写真)。これはオクラが入っていて(友人によると鍵になる材料)、より複雑で凝った味わい。彼のお墨付きで私も満足し、その足でカリフォルニアに帰ってきた。結局私にとってはどちらもおいしかったのだが、批評家の言葉に後味が左右されてしまったようだ。

2010年11月11日木曜日

手間はかけても


前述したように2週間に一度有機野菜を頼んでいて、どーんと野菜が来るので、その後数日は、追われたように野菜を食べる。そこで使わなくてはいけない野菜に関したレシピを必死に調べるのだが、そう簡単にはうまい組み合わせが見つからない。そんなわけで今日はほうれん草といんげんを中心に献立を考えざるを得ない状況だった。野菜があるから、料理を考える(登山家のジョージ・マロリーの「そこに山があるから」のように!)というのは、実は新しいレシピを試みるよい機会である。今日はほうれん草とパスタのサラダと、インゲンのキャセロールを見つけたが、あるものでなるべく済ませるようにレシピを大幅に再解釈する。本当は若ほうれん草を生で使うところをしっかりしたほうれん草をゆでたり、ハーフ&ハーフ(半分クリーム、半分牛乳)の代わりに牛乳そのままを使ったり、いろいろ工作が必要だった。しかし結構手間のかかるレシピを選んでしまい、バタバタといくつもの調理過程をこなしたにもかかわらず、出来上がったものはかなり地味な見栄え。

2010年11月9日火曜日

気分によって

今学期は教えていないので、ほぼ一日家でコンピュータに向かう毎日。昼間外に出るのは銀行に行ったり、スーパーに行ったり、たまに教授に会いに行ったり、たまに図書館に行ったり、といったところ。主婦業に徹すると忙しくなるので、学生業が基本と自分に言い聞かせている。とはいえ、楽しみは食べ物。朝から晩御飯の献立が決まらないと、そわそわする始末だ。一生懸命いろいろと作ったり、やる気にならずに出来合いのもので済ましたりと、さまざま。


やる気のあるディナーの一例:ティラピア地中海風、バターライス、ローストミニトマト、チャードのニンニク炒め。


手抜きディナーの一例:蒸かしたアーティチョーク、サラダ、冷凍チレ・レジェーノ(詰め物したチリ、メキシコ料理)、冷凍マカロニ&チーズ。

2010年10月31日日曜日

Trick or Treat

先日、アパートの住人にメールで「10月31日(日)の夜8時ごろ、トリック=オア=トリーターが訪問しますよ!」と知らせがあった。ハロウィーンの夜は、子どもたちが仮装をして近所をめぐり、「トリック・オア・トリート!(お菓子をくれないといたずらするぞ)」と訪問する習慣がある。各家庭でハロウィーン用のお菓子を用意するので、スーパーではスニッカーズのようなチョコレートバーなどを大袋で売り出す。それを大きなボウルなどにいれて、子どもたちが来ると配る次第だ。私はトリック=オア=トリーターが訪問するようなところ(小さな子どもの多い住宅地)に住んだことがなかったので、初めての経験。このアパートの周りには他にあまり住宅もないし、アパートの中で一軒ずつ回るようだ。




ところが、よく知られているように米国の肥満は流行病といわれ、ハロウィーンのお菓子も、きりなく甘いものを食べる言い訳となってしまうのが問題のようだ。そこでチョコレートバーを買うのは少々気が引けたので、何か別のものにしようと考案するものの、普段甘いものを食べない私は、どこに行ったら健康的な(?)お菓子が売っているかよく知らない。結局「脂肪分控えめで、添加物なし」というメレンゲクッキーを購入した。家でいくつかまとめて紙ナプキンでラッピングをしてみる。さて、喜んでくれるだろうか?


ちなみに、私の衣装は少し前に日本で買った古着の着物。

2010年10月30日土曜日

ハッピーハロウィーン!


今週末はハロウィーン。私は仮装はしないが、イベントで盛り上がった街の雰囲気を楽しんでいる。これが感謝祭、クリスマスと続くホリディの始まりである。先日スーパーで飾り用のミニかぼちゃをみつけ、買おうかな、と思いつつ他のものに気をとられて買わずに帰ってきてしまった。ひとつ70セントと安かったのに…と後悔していたら、その日の野菜パッケージ(地域のNGOが有機農業を行い、会員は定期的に配達所でお任せ野菜パッケージを購入できる)に3つ入っていた。食べられない装飾かぼちゃであるが、なんともかわいらしくて嬉しかった。自分は仮装しなくても、家の一隅に季節のデコレーションがあるだけでうきうきしてしまう。カリフォルニアはあまり四季の移り変わりを感じられないので、小物がひときわ映える。

ハロウィーンの定番カラーは黒とオレンジ。今年は、サンフランシスコの地元野球チーム、ジャイアンツがワールド・シリーズ入り(北米チャンピオンシップ)して、テキサス・レンジャーズと戦っている最中だ。そのジャイアンツのチームカラーも黒とオレンジ。地元では特別な思い入れのあるハロウィーンだ。

2010年10月24日日曜日

湖の周りを歩き始めて2年


メリット湖の周りを歩き始めたのは、2008年秋にキューバから帰ってきてからのこと。最初iPodを購入し、それからiPodのためのアームバンドを入手した。池の回りを歩く50分の間に聴くのはラテン・ポップから形質人類学の講義までさまざまだが、とりあえず耳にはイヤホンが入っている状態である。iPodを入れるアームバンドもこのところ古くなってきたので、やっと新調した。毎日使用して、その限界を見て新調するものは少ないので(私のワードローブには10年選手がいっぱいいる)、なんとなく時間の経過を意識せざるを得ない。今年はじめに卸したランニング・シューズといい、「そんな時間が経ったの?」と驚くことばかり。でもモノは確実に時間の経過をたどっているというのは、なんとなく頼りがいのある感覚だ。(写真は使い尽くしたアームバンド。私の繕いが見えます。)

2010年10月10日日曜日

タパス


家でタパスもどきを作ってみたかったので、夕食代わりに小皿のおつまみを用意した。


これはよく夕食に登場するカプレーゼ・サラダ。おおきなバジルの葉をそのままはさんでいるのは友人に習った方法。


ホンジュラス風ナチョスは、フリホーレス(赤豆を煮てスパイスで味付けし、つぶしたもの)にトマトとたまねぎを刻んだものとサワークリームをかけて、コーン・トルティーヤでいただく。


新聞のレシピから作ったディルとシェリーで味付けしたえび。


これもホンジュラスで覚えたスモークサーモン・ロール。クリームチーズと缶詰のナシを巻いている。レストランでいただいたのはモモだったのだが、間違えてナシを買ってきてしまった。まぁ、いいか、と作ってみたら、なかなかの味。

お酒がすすんで、おつまみ程度で少ないかも、と思ったのはつかの間、とても食べきれない量だった。

2010年9月29日水曜日

仕事もしました


ホンジュラスから戻って1週間がたつ。その間4ヶ月放っておいた髪や歯の面倒をみて、学校に行って、カリフォルニアでの生活の建て直しを図って、やっと落ち着いたところだ。なにせ1年の3分の1留守にしていたのだ。

ところで、ホンジュラス報告は食べ物が中心になってしまったので、仕事のことをひとつ。われわれのプロジェクトは思春期の子供たちが健やかな生活を送ることを目標としていて、その中でとくにお互いに悩みを打ち明けられるようなシステムをつくるものである。親、医者や学校のカウンセラーには言いにくいことも、同世代の人なら話がしやすいということから、その話を聞く思春期の青少年を育てること、それを見守る大人を訓練すること、そしてそのような打ち明ける場所として公共の場をつくること、が活動の骨子にある。

そのプロジェクトの宣伝のため、対象地域の高校をいくつか回った。写真は車で1時間強の町の高校。素朴な子供たちで、珍しい人たちが来たと熱心に聞いてくれる。こういうとき、スペイン語が不十分な私は一言くらい口にするが、あとはホンジュラス人スタッフに任せ、横で微笑んでいる。なにせ、「日本のプロジェクト」というのが目玉なので、日本人が来たというだけで注目の的なのだ。つまりは曲芸のサルのようなものだが、サルよりは待遇がいい。

2010年9月26日日曜日

遠足



隣町に仕事に行った帰り、近辺で唯一の観光地といえる鍾乳洞をみにいった。鍾乳洞そのものはたいしたことはないのだが、暑い中、洞窟の中はひんやりして気持ちがよかった。そしてあまり整備されていない暗闇をガイドに連れられて歩くのもなかなか趣がある。



昼前に鍾乳洞を訪れ空腹を抱えながらの帰り道、道端で大きなたらいのようなもので料理しているのに出会った。車を止めて聞いてみると、タマレス(トウモロコシ粉をこねたものをトウモロコシの皮に包んで茹でたもの)などトウモロコシで作る食べ物を何種類か売っている。早速皆家族の数を数えて、10個、15個と購入し始めた。細かいお金を持っていなかった私は(細かいお金=100円単位)ひとり分が買いづらかったが、みかねたホンジュラス人の同僚がおごってくれた。



トウモロコシ粉をこねて揚げたフリタは揚げたてをいただいてとてもおいしかった。鍾乳洞より思い出に残りそうだ。

2010年9月5日日曜日

コパン遺跡




ホンジュラスにはひとつだけユネスコ指定の世界遺産がある。マヤ文明の遺跡、コパンだ。私のいる東側とは反対の西側、グァテマラ国境近くに位置する。世界遺産を研究対象としている以上、見逃すわけには行かないと(実はカリブ海のリゾート地ベイ諸島とどちらにするか迷ったのだが)、出かけてきた。考古学者でもマヤ文明に詳しいわけでもないが、遺跡と観光地という設定に興味がある。プロジェクトのある場所は観光とは程遠い町で、コパンは別世界に見えた。観光地につきものの安っぽい土産物や、ぼったくりするお店などに出会う。久しぶりに観光客の姿を目にし、観光気分に浸るにはぴったりだった。



写真はホテルでおやつ代わりにいただいたナチョス。手作りのトルティーヤを揚げて、フリホーレス(赤豆)とサワークリームに添えてある。なんともいえずおいしかった。アメリカでは工場製のトルティーヤに、人工的なチーズがのっていたりすることもあるが、ここでいただいたナチョスは材料ひとつひとつの味がしっかりしていて、とても満足した。サンフランシスコで頼んだら、「特製ナチョス」などと銘打って、こだわりのあるレストランなどで出てくるのだろうが、ここはただ単に素朴なだけ。うれしいことだ。

2010年8月31日火曜日

庭で収穫



私がホンジュラスで住まいとしている家には大きな裏庭がある。そこにマンゴーをはじめさまざまな果物の木が植わっている。ホンジュラスに住みはじめてすぐは、マンゴーが旬で、これでもかとなっていた。それからグァバ(写真上)が熟れはじめ、家にいても香りが漂っている。ほかに日本では見かけないグァナバナ(写真下、突起のある果物)やレモンなどが鳥や虫に食われながらたわわに実っている。柑橘類はなったまま誰も手を出していないので、きっと苦味の強いオレンジなのだろうと勝手に思っていたら、大家さんがこれはグレープフルーツ、これは甘いオレンジよ、と教えてくれた。果汁がたっぷりでジュースにするとおいしいわよ、という大家さんに従って、いくつかグレープフルーツを収穫してみた。



切ってみると、すばらしいピンクグレープフルーツ(写真下)だ。さっそく絞ってみる。ひとつで十分だろうと思ったが…皮が厚いためか、絞っても絞っても数滴しか果汁が落ちない。やっと3個絞って、コップ半杯くらいだ。私の手は慣れない作業に痛くなるし、なんだか割りのあわないジュースとなってしまった。

2010年8月18日水曜日

まだある食べ物ネタ

食べ物について書くと反応がよろしいので、もうひとつ。ホンジュラスの典型的料理以外に何か食べたくなったら、なにがあるか?

首都のテグシガルパや第2の都市サン・ペドロ・スーラではあらゆる料理が選べるそうだ。私のいるわりと小さな町では中華料理とメキシコ料理がなんとか食べられ、そのほかに一軒だけ幅広い料理を出すレストランがある。中米には米国に出稼ぎに行っていた人たちによく出会うが、このシェフもその一人。20数年米国のさまざまなレストランで働いていたといい、彼の作る料理はちょっと格が違う。


えびのシーザーサラダ。


スペアリブとえびのフリッター。

ところが、観光客もいない田舎町ではその洗練された味(と値段)に客がついてこないようで、経営は苦しいとのこと。ワインを常備しているようなレストランは貴重で、プロジェクトでは接待などに良く使う店である。ぜひ生き延びてほしい!

2010年8月14日土曜日

典型的ホンジュラス飯

魚の話ばかり書いているが、典型的なホンジュラス料理は肉中心である。メインの肉料理にごはんと野菜が添えられ、さらにトルティーヤがつく。トルティーヤは主食なので、何を頼んでもついてくる。


豚肉のグリルにごはん、サラダとゆでたバナナ。


牛肉の煮込みにごはんと野菜。右側に見えるのがトルティーヤ。

最近地方めぐりが続いているので、現地の食堂で昼食となる。大体は決まったメニューで、ごはんの代わりにスパゲッティーが添えられることもあるが、それでもトルティーヤ。同僚の誰かが「焼きそばパンと同じ嗜好だな」とコメントして、なるほど!と思わされた。

2010年8月11日水曜日

焼き魚



ついに魚専門のレストランで焼き魚に出会った!魚はやはりティラピアで、メインはフライだが、ひっそりとグリルがメニューに入っている。早速頼んでみた。
調味料もハーブも使っていないので、かなり淡白だったが、揚げたものとは違う歯ごたえで楽しめた。揚げてないというのが新鮮で、これは再び食べたい、というほどの味ではなかったが…。それにしてもいまだ一番おいしかったのは、ホンジュラスに来てすぐに蚊に刺されながら屋外レストランで食べたトマト煮の魚だ。これはなかなかお目にかからない。

2010年7月30日金曜日

Tajaditas/タハディータ


スライスしたバナナなどを揚げたものをホンジュラスではタハディータと呼び、よく魚や鶏肉の付け合せにしたり、スナックとして食べたりする。私はこれにすっかりはまってしまって、「タハディータの女王」とオフィスで呼ばれるくらいだ。かなり工業化されたものもあるが、私が好きなのはこのちょっと田舎くさいパッケージのバナナのタハディータである。スーパーでもちょっとした商店でもガソリンスタンドでも売っていて、一袋約73円といったところ。こちらの人はチーズをのせたり、ホットソースをかけたりして食べる。今からホンジュラス出国後はどうしようと悩んでいる代物である。

2010年7月29日木曜日

Dr. Mingの中国茶

ホンジュラスでマイアミ発スペイン語TVのテレムンド(Telemundo)を観ていたら、やせるお茶の宣伝が出てきた。名づけて「ミン博士の中国茶」。100%ナチュラルで、飲む前と後の写真が例のごとく写されている。しかし、最後に現れたパッケージには、なんと見覚えのある顔が。




どうみても福沢諭吉である。『脱亜論』から時代も変わったとはいえ、中国に行ってダイエット産業に手を染めているなどとは…。

2010年7月19日月曜日

ホンジュラス報告その4


首都テグシガルパの空港はこじんまりしていて、大して見るものもないが、数少ない店の中に葉巻屋がある。その入り口に国際空港らしく多くの言葉で「営業中」と記されているのだが…。日本語はなぜか

「開いた」

と表記。インターネットの自動翻訳でも使ったのだろうか!?スペイン語のAbiertoは確かにそう訳せるが。

2010年7月18日日曜日

ホンジュラス報告その3


ホンジュラスもカリブ海に面した側でないと、魚と言えば淡水養殖のティラピアがほとんどである。しかも料理法は丸揚げと決まっていて、まずくはないといっても、揚げてばかりだと飽きるもの。魚を食べに行こう!と皆喜んでいるなか、私は「またあれか…」と辟易している。塩焼きになどできないものだろうか。付け合せは必ず揚げたバナナと、ピクルスにしたたまねぎやキャベツなど。ちなみに、ホンジュラスはティラピア養殖が盛んで、中米では輸出No.1だそうだ。

2010年6月25日金曜日

ホンジュラス報告その2



サッカー熱はとどまらず、ついに保健省本省から通達が来て、今週は仕事は午前11時までとのこと。ホンジュラス時間では朝8時と12時半に試合が放映されるので、午後の試合(金曜はホンジュラスが12時半からスイスと対戦)を観戦するために家に帰れるようにとの計らいである。われわれはワークショップを催しているので、午後まで仕事をしているが、さすがにホンジュラス戦の時は昼休みを12時半から2時半まで取り、きちんと午後のセッションも帰ってくるように、といってある。オフィスにもホンジュラス・チームのユニフォームを着てくる人が多い。私たちプロジェクト・メンバーは保健省の人たちにユニフォームをプレゼントされたので、それでまじめな顔をして仕事をしている。仕事のスケジュールにも試合が書き込まれ、現地事情を考慮した工程を組まなくてはならない。私は文句を言う気などまったくないが。

2010年6月13日日曜日

ホンジュラス報告その1

到着して2週間強経つが、怒涛のように過ぎていき、日本的労働感覚がまったく抜けていた自分に気づかされた。プロジェクトサイト地は首都から3時間半ほど離れており、ホンジュラス入り2日後に入った。キューバでのフィールド調査の感覚で「明日は何しようかな」と考えていたら、「では明日7時半に事務所で」と言われ、「そうだ、オフィスワークをしに来ているんだった」とあわてた始末だ。朝7時半に事務所(徒歩1分)に入り、午後3時終業予定であるが、終わったためしがない。いろいろと固めなくてはいけない作業がたまっていて、5時はともかく、7時8時まで事務所にいることもあった。12時間労働である。しかも地方のサイトめぐりがスケジュールされていて、朝6時半出発という日も何日もあった。



思春期保健のプロジェクトであるから、地方の保健所をいくつか回ったのだが、一箇所は熱帯性低気圧アガタが通り過ぎたあと道なき地域を進まざるをえなかった。川にかかっていた橋もどきが破壊されていて、一度車を降りて、あちらが流れがゆるいとか、こちらが水が浅いとか、7~8人でやいのやいのと騒いでいる。訪れた先ではどこもやる気満々のスタッフに迎えられ、とても気分がいい。私の入る前はいろいろと頭を抱えることも多かったようだが、プロジェクトは3年目にはいるので、だいぶ関係が築かれている。



ところで、ホンジュラスは中米唯一のワールドカップ出場国。時差の関係上、朝試合が中継されるので、しばらくは7時半の始業はなさそうだ。とはいえ、日曜日の今日は停電。明日の日本・カメルーン戦までに電気が戻るだろうか…。

2010年5月27日木曜日

ホンジュラスへ

やっと春学期が終わったとおもいきや、明日は4ヶ月の出張に出発。今年の夏はホンジュラスで働くことに数ヶ月前にばたばたと決まった。初めて行く国にいきなり4ヶ月とは、何を持っていったらよいかわからず、きっととんでもないものを詰め込んでいるのだろうと思いながら荷造りを進めている。私の比較基準はキューバなので、あまり当てにならない。

とはいえ、どうやら内陸部で働くことになりそうなので、魚介類が食べられないかも、と今日は寿司屋で夕食をすることにした。友人に薦められていたものの、なかなか外食しないので行かないでいたレストランだ。出張費が入ったのをいいことに、出発前の準備と称して(出張支度料をいただいた)ちょっと贅沢でも、と出かけてみた。

小さな小さな寿司屋は、平日の6時というのにいっぱいで、これは入れないかな?と思ったところ、ほとんどの人はテイクアウトで、すぐに席が空いた。まずトロの握りを頼む。思ったより大きなネタで、しかも大トロだ。とろけてしまいそうな寿司を、まわりの喧騒もしらず黙りこくって味わう。ウェイターに「この沈黙はいいものなのか、悪いものなのか?」とからかわれてしまった。さらにさしみ盛り合わせを頼み、カリフォルニア寿司のレインボーロールを頼み、そろそろおなかがいっぱいとなる。それでもホンジュラスでは食べられないかも、と握りをもういっかんとカキのフライをいただいた。





さて、お勘定。運転していたのでお酒は頼まなかったものの、その安さにびっくりしてしまった。食事は贅沢だったが、おあいそはふところにやさしい夕食となって、大満足。ホンジュラスから帰ってきたらまた訪ねるつもりだ。

2010年5月13日木曜日

金沢



金沢はアメリカで仲良くしていた友人が移り住んでいるので、会いに行った。街歩きと、おしゃべりを目的に訪ねたので、とくになにをみたいというわけでもない。それでも金沢城を通って兼六園に行き、そして茶屋街を散策した。途中で雨が降り、趣深いといえば聞こえがいいが、寒かった!茶屋を改造したカフェを見つけて入り、そこで遅い昼食と暖かいお茶をいただく(写真はランチのサラダ)。ぶ厚いコートの正当性が証明できて、気分が落ち着いた。

近江町市場では春の山菜がたくさん並んでいた。市場の人にいろいろと山菜についてお話をうかがっていると、「北國新聞ですが、山菜の記事に載せたいので写真を撮らせてください」といわれる。われわれのノリが観光客らしかったからいいカモとなったのだろうが、ちょっと興奮して二つ返事で応じた。翌日の朝刊に載るという。


その夜はこごみとふきのとうの天ぷらでおいしい夕食となった(ごちそうさまでした)。

翌朝、金沢駅で北國新聞を購入し、大阪行きの特急に乗る。さて、私の写真は、とページを繰っても繰っても出てこない。小さすぎてみつからなかったかな、と3回くらい新聞を端から端までみてみたが、やはりない。がっかりして、山菜の記事なんか、きっと場所が余ったとき用なのだろう、と結論。

米国に戻ってきてすぐ、金沢の友人が1日おいて朝刊に記事が載ったと教えてくれる。スキャンして送られてきたそれには、友人の言うとおり、仏頂面で山菜をにらみつけている二人の写真が小さく載っている。まぁ、よくみないと私だということさえよくわからないのだが。

2010年4月30日金曜日

久々に


(大阪 エキスポ・パークの太陽の塔)

3月は国立民族学博物館の研究会に急遽出席することになり、日本に1週間強滞在した。日本に帰るときは私は成田に入るのが通常のパターンだが、今回は大阪に招待されたため、初めて関空使用かと、ちょっと興奮したが、サンフランシスコ-関空という便は毎日飛んでいるわけではないことが判明。そこで、アシアナ航空でサンフランシスコ-ソウル-伊丹か、JAL でサンフランシスコ-成田-伊丹のどちらかの選択になった。時間の関係で後者を選んだが、成田についてからまた国内便に乗換えとは、なかなか厄介である。東京中心に物事を考えたり経験したりしていると、気がつかない日本の状況だ。

しかも、1週間強の滞在中に、大阪-東京-金沢-大阪という旅程を組んでしまった。研究会に招待されたのを機会に、家族と友人を訪ねてしまおうという貧乏くさい計画である。ふだんは成田について、スーツケースを実家に宅配する手続きをするため、大きな荷物を抱えて国内移動をすることはない。今回はスーツケースを引き連れた大移動を短期間にすることになり、なんとも不恰好な旅となった。

大阪では研究会の最終日、大阪に滞在して翌朝東京に新幹線で向かおうと考えていたが、連休の土曜だったため、ホテルが満室。そこで、夜行バスを使うことにした。高速バスは新幹線より座席が広くて快適だと聞いていて、一度利用してみたかったのだ。米国からインターネット予約をして、座席を確保できたのもよかった。研究会のあと、キューバで知り合って京都に住んでいる友人(彼女の縁で研究会に招待された)と梅田駅の飲み屋で何時間か話し込み、半分酔っ払ってバスターミナルへ。8時間ほどの移動をほぼぐっすり寝込んで、翌朝新宿駅に到着した。


(金沢 兼六園の梅)

日本行きが決まってから、サンフランシスコでは必要ない冬物の厚手のコートをあわてて最終セールで残っているものの中から購入し、来ていったものの、大阪は予想外に暖かかった。東京も3月下旬に分厚い黒のコートを着ている人は皆無で、汗ばみながらスーツケースを引っ張っている私はどうみても田舎モノだ。それでも金沢行きが旅程に入っている限り、コートは手離せない。

東京では実家の周りのよく行く食事処をめぐり、友人にも会わずに2日間(1.5日?)を過ごした。そして、金沢へ高速バスで。今度はマイナーな路線のせいか、あまり快適なバスでなく、しかも最初の2時間は都内をうろうろしていた。とりあえず採点の仕事をしなくてはならなかったので、8時間がどのような過程であってもかまわないのではあるが。東京-金沢のバスは雪の積もった山間部をとおり、それはそれでエキゾチックな旅程だった。